教訓

直射日光を見つめていると網膜の前に変性ができて飛蚊症になる

直射日光を見つめていると視神経と脳の回路のどこかに故障がおき、道を歩くときや本を読むときに顕微鏡の微生物みたいな透明な点がたくさん漂って見えて目で追うとさらに逃げて追いつけない

直射日光ではなさそうな、30メートル先に止めてあるバイクのミラー越しのまぶしい光でもそうなる

直射日光ではなくても、木漏れ日やレースカーテン越しの冬の日差しでもそうなる

日光を見るときピントを意図的にぼやかして近眼のようにすると目のガラス体の中で日光が一点集中するからガラス体が劣化する

世界認識

夏至の日に太陽南中角度を測ると地図通り現在地の緯度がわかった

でも普通の日でどうかは全然わからない

本当にそうなのか、明日も遠い将来も本当にそうなのか それはわからない

 

地球は丸いそうだ

宇宙は広いそうだ

多分神様やこの世界を操れる外側に存在する意思をもつ存在がたくさん存在してると思うようになった

でも証明できない

哲学

人間の認知には限界がある

年を取っていくと一人一人の複雑な事情の一端をしることになる

年を取っていくと学問のなかの解決されていない、方程式で解けない問題があることを知ることになる

年を取っていくとアキレス腱のばしに反動をつける古い方法は腱を痛めるから悪いと学説が出る

年を取っていくと腹筋の上体おこしは腰痛の原因になるから悪いと学説が出る 

年を取っていくとうつ伏せの状態で、肘、つま先を床につけて、体をまっすぐに浮かせて耐えるプランクがいいと学説が出る

背骨の柔軟性があるほうが落下時に態勢を猫みたいにひねれるメリットがあるが重い荷物で腰痛になりやすい

背骨が固いほうが重い荷物を背負って長時間歩けるメリットがあるが上半身をひねれない

メリットとデメリットがある

誰にでも当てはまる1つだけの正解の方法は存在しない

人は体格と骨格が一人一人違うので

人は目指すもの、目標が一人一人違うので

人は生きている周りの環境や状況が一人一人違うので

 

人は自分の五感はわかっても、他人の五感はわからない

赤い色が嫌いな人もいれば好きな人もいる

視神経が過敏な人や、脳が信号を増幅しすぎる人もいるだろう 一人一人違うので

 

低い音が聞こえない人や 高い音が聞こえない人がいる

自分で話す自分の声を ボイスレコーダーで録音して再生すると なんか違う

 

政治家はなぜ戦っているんだろう 誰もが納得するただ一つの答えを導けば終わりのはずだ

それは

自分一人の認知では情報吸収に限界があるからと、

もう一つ

自分が妙案だと思った政策立案が 相手からは愚策だと思われるから

 

ここからが怖くて

自分が妙案だと思った政策立案の 真の姿が本当に妙案かは 人間には確認できない

五感が世界システム上ハッキングされ、愚策を妙案に感じる様に仕組まれてることがありうる

 

鬼蜘蛛のお母さんがたくさんの子蜘蛛に食べさせるための餌として人間を襲っていた説話

仏が術をかけて

鬼蜘蛛のお母さんは突然目の前に沢山の人間の赤ちゃんが見えた

片っ端から殺した

でも与える子蜘蛛がいない

仏が術を解いた

死んだ子蜘蛛たちがたくさん現れた

鬼蜘蛛のお母さんが自分の子蜘蛛を自分で全員殺したことが 鬼蜘蛛のお母さんの認知で理解できた

鬼蜘蛛のお母さんはそれ以降 何も食べなかった

そのあと仏の序列入りをした

という話

 

なぜ食べるのをやめたのか

自分で自分の子を殺したことで、誰かもその子どもを殺されたら悲しいだろうと知ったから?

生きることは食べること、食べることは殺すこと、それが価値がないように思えうつ病みたいになったから?

自分は罪深いと思ったから?

この世界で今まで通り殺し食べ続けるよりも、身が滅んでしまう危険があっても違う世界にいける可能性があって食べる呪縛が消える可能性があると思ったから?

 

それは人間には確認ができない